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相羽さんが逝去された。

彼は筋ジストロフィーという病を患っており、車椅子、呼吸器という出で立ちなのだが愛知でシンガーソングライターとして活動しており、七尾旅人さんとの繋がりなどで非常に自由でユニークな活動を積極的におこなっていた。


私が初めてのアルバムを作り終えた後に愛知へ移住することを決め、コロナ渦真っ只中の状況で愛知での活動をどうすればいいか悩んでいた際に一番最初に連絡をくれたのが相羽さんだ。

しかもお互いに全くの初対面。なんてフットワークが軽く、こんなどこの馬の骨かもわからないような男に連絡をしてくれるなんて、なんて珍しい人なんだと思った。


コロナ渦でライブ自体がどのミュージシャンもほとんどしてなかったころに相羽さんは自分のYouTubeチャンネルにて毎回アーティストを招いてトークと歌での交流をする「if you just smile」という動画企画をおこなっていた。


過去の模様を見ていたら知り合いもかなり参加していたり、個人的にむちゃくちゃ尊敬している方も参加していたり、相羽さんの底無しのフットワークの軽さ、押しの強さ、活動力に驚いた。


コロナも落ち着いてからは相羽さんと直接お会いしたり、ようやっと現場のライブ企画にオファーしてくれたり本当にお世話になった。

ご飯行きましょうねー!とちょくちょく連絡してくれた。相羽さんの体調や私がとにかく閉塞していた時期もあり、なかなか合わせられず、とうとう私がTwitterを削除したあたりからなかなか連絡する機会がなくなったのが今年。

そして友人より相羽さんの訃報を知る。


まだまだ精神的に落ち着きがない状態だがなんとか支度をして会場へ。

ものすごい人の数が彼の交流力を物語っているなと思った。

人が多いことや、お通夜ということもあり、色々な感情、悲しみや喪失や、人がいることで生じる様々なものが渦巻いているせいかエラー停止状態のまま友人のあとをついて相羽さんの姿を眺める。


幼い頃の相羽さんが竹刀を携えてどっかりと座っている写真がでかでかと置いてあり、むちゃくちゃ最高だなと思った。


最後に相羽さんに直接触れる。

そこには相羽さんの抜け殻だけが静かに眠っており、今にも目を開けてまた飄々とした口調で心優しく声をかけてくれそうな雰囲気だったが、触れてみるとまるで作り物のように感じ、これが死なのか、と思った。


こういうことを言うとなんてことを言うんだと一部の人は思うかもしれないが、きっと相羽さんは筋ジストロフィーという絶対しんどいだろうなという病をかかえた肉体から解放され、彼は元々非常に非常に多作な人なので、きっとその本当に自由になった魂で作品を作り続けているんじゃないかと思う。チバユウスケやカートコバーンとかにも積極的に話しかけて企画やりましょうよ!って誘ってるかもしれない。

それくらい隔たりがない、真っ直ぐな気持ちを持った方だったので。


本当にありがとうございました。