11/29

今年も色々あったなあと思う。

人生で経験することは色々あるなと思うけどそのなかでも「まさか経験するとは」という経験が次から次へとあった年だった。

自分の中でまだやってなくてやってみたいことは自殺と自己破産くらいなんだけど、まあ別にやらないに越したことはないからひとまずやらないようにするということで、でもそれ以外のことは一通りやったのではなかろうかと思う。


おかげさまで手に入れたものはこのまま一生一人でどうにかできる強くて脆い精神力と、失ったものは全てという感じである。人の前で心から笑うことも全然失くなってしまった。何が楽しくて笑ってるのかわからないけどとりあえずごまかすために笑うことをし続けた結果、ただただへらへらしてるけど心がない人間に成り下がってしまったという具合だ。仕事中の私がまさにそれ。笑わせるけど同時に引かれることもしばしばある。


優しさなどこの世界には存在しないが優しさというものは幽霊や宇宙人や神話、伝承、妖怪のように必ず存在するという、ないのだけれどあるんだろうなというもので、不確定だがあると信じてる人もいれば、それそのものが存在しないことが当たり前のように暮らす人もいる。


優しさというのも一つの宗教だなと思う。信じたい、すがりたいと祈っている人で溢れている。そうでもしなきゃ自我が破裂してしまうのだろうなと思う。

なので自分はそういう、優しさというものすら宗教の類いだと思うことにして、まあそれを信じる人をバカにすることだけはしないようにしようと思ったりもするけど、神なんかいねえし優しさなんてものもこの世界にはないよ、と本気で思う自分もいる。おばけと一緒で怖がっているだけなのかもしれないが。


職場の同僚がクリスチャンで地獄の話を漠然としたが、その同僚には言わなかったけど、自分はこの取り巻く世界が地獄だと思っているし、死んだあとの地獄というものが存在するのだとしたら、これとほとんど変わらないだろうなと思う。ひたすら苦しみが続き、でも苦しみがないときもたまにあり、たまに話し、たまに笑い、ああ本当につらい、勘弁してくれと思いながら眠り、また苦しみが続く。意外と住みやすい世界だと思う。天国もそんな感じだろう。天国にだってストレスは必ずあると思う。ストレスがあるということは現実だ。ストレスが全くない世界なんて絶対ないと思う。ストレスを避ける方法はある。だがストレスという概念がないなんてそれは死ぬことではないだろうか。


何が言いたいかというと、天国と地獄というのは見え方によって定められた世界であって、この今いる世界と仕組みは=だろうという自分の中の仮説だ。だから自分は天国なんてなく、地獄というものがただ現実と平行してあるだけのものが広がっているんじゃないかと思ったりする。


週7勤務が無事に終わったが苦しみは続く。

休みができることは本当に嬉しいのでとりあえずはゆっくり休もうと思うが、本業がまだまだ続くので休みは少し先だ。

どんどん嫌な人間になってこう。綺麗事だとか、優しさだとか、愛なんてくそくらえだ。

全部疑って、そのなかで自分の中に生まれてくる自分の中にある優しさや愛だけを自分のために無理矢理にでも放り出していこう。