11/2

管理会社より「夜間にギターを弾かないでください」というチラシが2枚も投函されていた。


全く同じものが2枚も投函されていたので、わかってるな?と言われているような気がして、ああ、意外と音って響くんだな…と思い、本当に申し訳なく思う。こうして知らず知らずにあらゆる人間に迷惑をかけているのだなと思う。


部屋にいても、この働きづめのほんのわずかな時間ですら、自由なことはない。押し黙り、労働せよ。心を酷使しろ。そうしてその黒ずんだメラミンスポンジのように使いカスになるまで心を削り、生ゴミのようにくたばれ。


あらためて自分で自分のことを見てこんなに醜悪で、しかも迷惑で、色も花もない汚体が、下品で情けないギターを弾きながら、うんざりするような声で夜中に歌っていたら、とりあえず大きめの鈍器で粉々になるまで頭を叩いてると思う。


ネガティブな人間には誰も寄ってこないというのは凄くよくわかる。しかしこれが私だ。忘れていってほしい、頼むこの通りだ。例えば、あーなんかそういえばそんな人いたね、あ!ところでさー、くらいに、もはや風ですらない、記憶の片隅にすら一欠片も残らない、埃にすらなれないような、もうそういう無に近いものとして生きたい。

全て忘れてほしい。


こんなことをネットに晒している時点で矛盾しているのだが、こんな矛盾すらも気がつけば目にもつかないくらい皆が幸せに暮らし、私というかたちを全て忘れていってほしい。


何をするのにも疑問が浮かび、いつまで部屋にロープの輪っかを下げたままシチューを食べているのだろうと思う。


シチューを食べてシチューが美味しいと思うとき以外に楽しいことがない。

11月も休みはない。文字通り休みというものは一個もない。10/25からずっと働いている。背中や肩は凝りを通り越して鉛のようになり、眼球は時々様々な景色を潰して滲んでいく。猛烈な頭痛、寝ても寝てもとれない疲れ。こうして社会人として生きていることが奇跡なくらいに常に張り詰めている。何か理不尽な力が加わってしまったら、恐らくその理不尽な力を働きかけたやつを殺すだろうと思う。そっとしてほしいと祈りながら外気に触れ、電車に乗り、仕事を通して人と接する。こうやって犯罪者が生まれるんだろうなという不安と、こうしてよくわかんないタイミングで死ぬんだろうなという空想が、コバエのように飛び回っては肌にとまり、手足を擦っている。


シチューを食べたあとの胃袋の重さが、適当に流しているYouTubeの映像と一緒に部屋に放り出されていく。

全部放り出した部屋。


砂であれ、と思う。