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いつでも死ねるという環境作りが重要だ。

死にたいではなく、思ったときには死んでる、プロシュート兄貴の発想。そのスピード感が、効率、時短が求められるこの時代において今とても重要である。


健康診断に行ってくる。

健康診断の朝は特に憂鬱だ。前日から水しか飲んではいけないということを強いられる。

根が消費者なので、あらゆることを摂取しては消費するというのを繰り返している。

消費依存体質なため、消費を我慢するということは体や精神がすり減っていくことになる。このまま全部消費していって完全な無になることが理想だが、人というどうしようもない物質故に、ただただ疲れていくのみで、朝を迎えると完璧に最悪な状態で病院に向かわなければいけない。


あらゆる気力が底をついたところでようやく終わり、スピッツを聞きながら携帯で調べたバス停でバスを待つ。


気がついたら終点でどこかもわからないところに降りてしまった。運転手の男性は私のことを中学生かどうか聞いていて意味がわからない状態になり、とりあえず帰宅駅の方面はどこか聞くと今とは真逆のバス停を案内され、飲まず食わずのままなためへとへとになりながらバスを待っていると、猛烈に生きていることが恥ずかしくなってくる。


頭が悪く、顔も醜悪で、腐臭がし、おまけにバスもろくに乗れない。生きていることがこんなに恥ずかしいことはない。むしろ今までよく生きてたと思う。世間知らずだった。やっと気づいて良かった。こんなに生きていて恥ずかしい生き物だったことにようやく気づけた。ありがとう。


そうと決まったら今日死のうという思いを胸に、ひとまず空腹を満たすためケンタッキーでしこたま買い込む。

帰宅して手を洗い、手頃なロープをこさえて適切な位置にセッティングする。

自分は死ぬときは首をくくって死ぬと決めている。


ケンタッキーをどか食いしたらそのまま眠ってしまった。体に沈殿したバリウムを垂れ流す。


頭が重く、ひとまずは何も考えたくないという思考に落ち着き、幽☆遊☆白書を読んだりYouTubeを意味もなく垂れ流して体を休める。


明日からまた40連勤以上の仕事が待っている。

土の中で眠り続ける自分を想像した。