9/22

毎朝眼球が乾きすぎて目が開かない。

だが鏡で見てみると、まだ瞳は輝いているようで、生きているのかと実感する。

 

柴田聡子さんの超弩級名盤「しばたさとこ島」がいつの間にかサブスク解禁されていて最近はもっぱらこれを愛聴している。

思えば20代、音楽活動が何もかも頓挫して一人でやらなければいけないとなっていたときにとりあえず最近の弾き語りというのはどういうものなのかを探し回ってたときに柴田聡子さんをみつけ、「芝の青さ」のMVをみつけたのが初めだったと思う。

 

 

 

 

コメント欄が荒れていたのを覚えていて(桜の木が咲き乱れてるところで撮影されていて、その撮影が無許可?で撮影されていたのが原因?みたいな?どうでもいいことなので忘れた)、インターネットってめんどくさいなーと思った気がする。それは今でもそう思う。

 

当時はまだシンガーソングライターと堂々と言えるようなものを全く作ってないパフォーマーの成れの果ての至極ひどいことをやっていたため(※今もそんな堂々とは言える人間ではない。)、

聞いた最初の印象はふーん程度だったのだが、その後歳を重ね、経験を重ね、歌とは、唄うとは、を意識し始めたときにあらためて柴田聡子さんをネットで探していたところ、韓国で弾き語り演奏している動画をみつけてそこで歌っていた「春の小川」がとても美しい歌だなと思いハマりだした。およそ10年前。

 

 

 ※LIVE全編は こちら

 

このライブ動画が個人的にはかなり素晴らしくて、当時はかじりつくように毎日見ていた気がする。

 

 

夜行列車は渋谷発

なんだか指が痛い

馬に乗りたい

とびきり速い馬に

あてもなければ金もない

恋をすれども味気ない

 

 

地に足がついたかと思えば野原をかけるような、それでいて川に吸い込まれていき最後には本を閉じたような充実感が2分間に凝縮されていて一発で夢中になった。

 

今では私も齢79をむかえる。

6800人の孫たちは毎年私の生誕を祝い、生クリームと砂をふんだんに使った5mもある大きなケーキと、西洋風の額でかざられた等身大綾波レイのパネルをそっと私の枕元にそえ、浜田省吾の終わりなき疾走を合唱してくれる。

 

皆が笑い、そして皆が指を鳴らし、私は静かに目を閉じながら、孫たちの歌声を耳に、積み重なっていく彼氏彼女の事情全21巻を抱きかかえ、ワインレッドのベルベット毛布に沈んでいく。

 

 

 

きっとどこまでも楽しかったと思う。

 

きっとどこまでも楽しかったと思う。